Django Reinhardt  ジャンゴ・ラインハルト(1910-1954)


ジャンゴラインハルトと音楽について

 ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)は、ベルギーに生まれ、主に1930年代から1950年代にフランスを中心に活躍したギタリストです。

 

 ジプシー(※)出身の彼は、ジプシーの音楽スタイルと、アメリカからやってきたスウィング・ジャズを融合させた音楽スタイルを生み出し、世界中のミュージシャンに影響を与えています。彼の作り出したスタイルは、ジプシー・ジャズ、ジプシー・スウィング、またはフランス名のジャズ・マヌーシュま、マヌーシュ・ジャズ(Jazz manouche, Manouche jazz)などと呼ばれています。

 

 特に、ギターの奏法に対しての彼が与えた影響はとても重要です。1920年代後半、ギターはソロ楽器・メロディー楽器としての役割は少なく、ギターはリズム楽器のひとつであり、脇役でした。そのような状況の中、ジャンゴ・ラインハルトはギターを主役とした楽器として使用した先駆けで、ギタリストのみではなく、多くのミュージシャンに影響を与え続けています。

 

※ジプシーとは英語読みで フランスではジタンなどいくつか呼び名があり、 一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指します。彼らは自分たちのことを「ロマ」と呼びます。近年「ジプシー」が差別用語とされる場合もありますが、ジャンゴが残した曲にはジプシーという言葉を使ったものあり、また一般的にジプシージャズという呼び方をされるため、ここでは使用しております。

 

 

ジャンゴラインハルトの生涯

 ジャンゴ・ラインハルトは1910年にベルギーのジプシーキャラバンで生まれました。彼の家は芸人一家で、父はヴァイオリン弾き、母は歌手で踊り手であったようです。一家はフランス、イタリア、スペイン、モロッコなどを旅をしながら暮らしていましたが、ジャンゴが10歳のころ、パリに定住するようになったそうです。

 

 ジャンゴは子供のころからバンジョーを弾き、両親の生活を助けていたようで、ギターを弾くようになったのは12歳のころです。

 

 1927年にジャンゴは結婚しますが、彼の妻は幌馬車の中で墓地の入口で売るセルロイドの造花を作っていました。彼女は仕事に没頭するあまり、消したはずのろうそくにまだ火が残っていることに気付かず、幌馬車は火事に見舞われてしまいます。帰ってきたジャンゴも巻き込み、幌馬車は炎に包まれてしまいました。

 

 どうにか火事から逃れたジャンゴと妻でしたが、ジャンゴは左半身にひどいやけどを負ってしまい、左手の薬指と小指が動かなくなってしまいます。弦楽器奏者として致命的なハンデを負ってしまったジャンゴですが、努力の末、独自の指使いをマスターし、素晴らしいギター演奏をするまでになります。写真の左手を見ると、薬指、小指が委縮してしまっていることがわかります。

 

 火傷により、ミュージシャンとして致命的なハンデを負ったにもかかわらず、ジャンゴは努力の末、独特の指使いをマスターし音楽活動を再開しました。独自の才能を発揮し、以前よりもすばらしい演奏をするようになったジャンゴは、バイオリニストのステファン・グラッペリと1934年に「フランス・ホットクラブ五重奏団」を結成しました。このバンドによって、ジャンゴとグラッペリは名実ともに高い評価を得ていきます。リードギター、リズムギター2本、コントラバス、バイオリンという弦楽器のみで編成さられた、ジャズ史上初のこのバンドは、編成の珍しさのみではなく、音楽性においても当時のヨーロッパジャズの頂点に立ったといえます。


その後、精力的な活動を続け、ジャンゴの名はジャズの本場アメリカでも知られるようになります。彼を称賛していたスウィング・ジャズの巨匠デューク・エリントンによりゲストとしてアメリカに招かれたこともありました。


彼の才能は楽器の演奏のみにとどまらず、多くの曲を作曲し、ジャンゴ・スタイルのジプシー・ジャズのスタンダード曲となっています。彼が残した録音は千曲近くもあり、いまだに多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けています。アメリカのギタリスト、でギブソン社の有名なギターのモデル「レス・ポール」の生みの親であるレス・ポールはジャンゴの影響をうけており、彼を通して多くのギタリストが影響をうけています。


ヨーロッパにおいては、ジャンゴのスタイルをそのまま継承したギタリストが多く存在し、ジプシー・ジャズというジャンルとして定着していますが、アメリカなどにおいては、そのままのスタイルとしてではなく、音楽性として浸透していきます。その結果70年代以降に登場したギタリストのなかにも影響を語るものは少なくありません。


直接的であれ、間接的であれ、ジャンゴの音楽に対する情熱と独創性はこれからも多くのミュージシャンに影響を与え、多くのファンを増やし続けています。

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